2013年11月26日
ZERO52 その12
零式艦上戦闘機52型 その12
BANDAI 1/24
初版1971年
完 成
小学4年生のときにプラモデルと出会い、
かれこれ50年の歳月が流れた。
プラスティックの可塑性はあらゆるものに変身してきたのだけど、
戦艦大和と零戦は今日まで連綿と続いている稀有な存在である。
何ゆえこれほど続くのか、
あのころ私達小学生のこころをつかんで
毎日のようにノートに大和と零戦を描き綴らせ、
ノート上で戦いが繰り広げられ、
何度も大和は沈み零戦は墜落していった、、、。
テレビで観る戦争映画に涙し、
戦争の悲惨さを子供ながらにも知覚したにもかかわらず、
翌日はまたしても戦艦大和はノートで爆沈し
零戦は戦い続けるのであった、、、。
このたび義父の残してくれたライフ社の
「ライフ第二次世界大戦史」を通読して
細切れだった私の「太平洋戦争」がつながりを見、
溜飲を下げるべく零戦のプラモデルを作るに至ったのだが、
してその溜飲とは何だったのか。
高度成長とモータリゼーションのなかで、
未来からやって来た「TOYOTAセリカ」に乗って、
総中流社会が続いて平和の国で暮らして行けるはずが、
どうにもおかしな状態になっているか。
いや、
最初からそうではなかったのかもしれない、
だって、ここでは戦争が終わったためしが無いのだから、、、。
今日もまた、
我が家の上空ではF15が、
中高度よりエルロンターンを決めそこないながら、
ぐらぐらと旋回し、
つづく後続機もラインがあやふやで今にも墜落しないかと恐れる。
続く轟音に立ちすくみながら零戦を作る溜飲とは何か。
分からずじまいで出来上がったプラモ零戦は、
機銃とピトー管、そして排気管用耐熱版を忘れてしまっている。
忘却。
忘却してしまったのは何か、
テレビドラマの兵をいじめる上官がゆるせず、
にもかかわらず水戸黄門へと流れさる感性とはなんなのか。
私たちは
「サザエさん」とともに暮らしてきたのではなかったのでしょうか。
頭上をオスプレイが一直線に飛び去る。
頭に浮かぶブレードの形状は、、、
プラモのオスプレイが脳裏に浮かびその形状をサーチする
「そっくりだ」という勘違いは、
堕ちるまで気付かないとでもいうように、
いや、堕ちたのであった。
皮肉にも堕ちたのは私が作ったCH53Dだった。
それはテレビジョンに映し出され、アイキャッチになっていたが、
実際に堕ちたのはローターにストロンチウムを密封している
全然別のものだった。
私たちの身体は、ほんとうに忘却したのだろうか、
そんなことは無いだろう、
だって「F4ファントム」から「F15イーグル」へ変わり、
いやそれ以前から連綿とつづく戦闘機の数々は
小学校にさえ落ち、その心象はいまだ癒されず、
ここへきて「MV22オスプレイ」であり「F22ラプター」なのだ。
またしても浮かぶのはイタレリのそれであり、
フジミのそれだ。
私(達)の脳はすっかりズレまくっているのだろうか。
プラモデルは世間である、か。
言われた通りに組み立てて、いわれた通りに色を塗る。
いや自我を通して改造という主張が世間を凌駕するか、
通りがかりのおばさんに良く出来たヒコーキだねぇ~
といわれて魔法が解け、
カボチャに魅入るか、、、。
この島の長さは110km程しかない。
FUTENMAとHENOKOに
コンパスで円を描けばすぐに重なるだろう。
WWⅡなら誤爆の範囲!?
今ならピンポイントで外れて誤爆、、、、。
おっとKADENAが間をつないでいるから
誘爆になるのでしょうか。
何を溜飲すればいいのだろうか。
1/24の零戦さえ喉を通らないというのに、
1/200大和は1m30cmもあるのですよ、、、。
この項終了
Posted by ネコとウソ at 20:41│Comments(2)
│プラモデル
この記事へのコメント
ゼロ戦を見て昭和に スッ飛び ウタを読んで次元を サスラウ
幸せには中々なれない物ですね。
幸せには中々なれない物ですね。
Posted by 横丁 at 2013年11月30日 22:09
横丁様
しばらくです、、、、。
おかげさまで出来上がりました。
キャノピーのクリアー度にビックリでしょう!
顔見えますぜッ!
かわうそ
しばらくです、、、、。
おかげさまで出来上がりました。
キャノピーのクリアー度にビックリでしょう!
顔見えますぜッ!
かわうそ
Posted by ネコとウソ
at 2013年11月30日 23:35

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