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2011年06月28日

modelcars183号

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      「modelcars」 183号

          2011年8月号

     特集 「プロモデラーの制作テクを全公開!!」

      畔蒜幸雄(あびるゆきお)名人が
          作例を1台仕上げるまでを完全掲載!

           1.800円

          ネコパブリッシング


 昔、このような企画があれば、とても助かったのになぁ~

と思うものの、何も知らなかったから、

自分なりに努力発見して今日までやってこれたような気もする。

 私達プラモデル第一世代は結構難儀しましたが、楽しかったし、

今は桃源郷のようでもある、、、が、今の子は大変かもしれない。

でも、今は今であり、今の子に過去は無いのだから、

今は今で楽しくも結構難儀で楽しい事でしょう。

 作例を見て、

イキナリこのフィニッシュかいと言う事もありますが、

憧れとして観る事が出来れば、シアワセでしょう!

でも、

コレがいきなり出来るという短絡があるとも聞くと困ったもんでもある。

言うまでもなく、

作ってみなくったって出来ないという事を

分からないという事は問題である。

「どうして上手く作れないのでしょうか!?」となる。

やった事が無いのは出来ないのである。

火に触ればやけどである。

でも、それすら知らない程に私達は「都市化」しているようだ。

養老孟司がそのあたりは書いているので、

それを読んでいただくとして、、、、。

 つまるところ、

上手く作るにはカーモデルだろうがヒコーキだろうが何だろうが、

何かを作るという手間を経験するしかないのであるが、

もっとも、

コレが道具ひとつで出来るかもしれないという幻想を

メディアが喧伝している向きもある。

もちろん道具は大事だ、

でもその道具を使う技術(慣れ)がないと

その道具があっても上手く出来ないのは、いうまでもない。

 鉛筆を上手く握れない人が多くなっている。

というより、

どうしてそのような握り方になったのかと不思議に思うくらいである。

とても難しい握りになっていて、私など混乱するのであるが、

当人はそれでやってきたのであるから気にならないのでしょう。

でも、それはやはり直した方が良いと思う。

 私、長い事お箸がうまく使えませんでした。

世間は私が左利きだからしょうがないと免罪符をくれました。

 しかし、ある時、これではいかんとがんばって練習したところ、

上手く使えるようになりました。

お箸はピンセットのように挟むのではなく、

1本は固定して、

もう一本のほうでついばむ感じを会得することに気付けば、

すぐに上手くなる事と思います。

そして挟むより、90度に開く事が出来ればもうお箸上手です。

 話が少しそれましたが、、、。

最初「キーボード」で文字がスラスラ打てる訳がないと思いましたが、

自己流ながら使えるようになりました。

いまだお箸のようにはいきませんが、

文章が書け乱筆を回避しています。

パソコン世代にあってもこのようにトレーニングが必要な訳ですから、

小刀だって、、、と思う訳ですが、コレが違うようです。

 さてここで畔蒜名人の作業を見てみましょう。

すると、名人の爪に何ともいえない汚れという、

修練が観えます、、、、。

これです、

これをどう見るかという事がこの特集の一番のポイントです。

これを理解し押さえれば、

あなたも今日から名人はダメですが、

弟子にはなれるでしょう!

弟子、なんすかそれッ、でありますが、

弟子はともかく、ここにこそモノ作りの全てが集約されています。

 パソコンでの作業は手を汚しません。

ここにモダニズムの美徳があるのですが、

これが身体性を欠く事になり先の

「どうして上手く作れないのでしょうか」となる。

答えは「やった事が無いので出来ない」である。

 手を汚さないパソコン的作業でプラモデルは作れないか!

という事に答えて、

シュミレーションでソフト化した提供がありましたが、

振るわないようです。

これはやはり本質的に違うのでしょう。

パソコンでの作業はその基本がメタフィジカルにあります。

プラを削るのはフィジカルな作業です。

その物を直接通した経験作業が、プラモデル作りです。

これを飛ばしてモノ作りは無いという事です。

ということはパソコンとは世界が違うのです。

ですからパソコンが良いの手作りが良いのという事では

理解できませんし、不毛でしょう。

パソコンで出来る事がプラモデルを大いに躍進させたのは

ご存知の事と思います。

完成模型のデジタル画像ひとつとっても、

プロフィニッシャーを泣かせるほどに素晴らしいものです!、、、

アラが丸映り、、、、。

 でも、プラモデルはメタでもあります。

ここが面白い!

これについては、このブログ記事「悲しきプラモデル2」で

書いてますが、自分で作っているようで二人羽織状態であり、

そうでありながらも手にフィジカルな動きを要求してくるという

極めて分裂的なものです。

だからモダニズムの完成としての、

出来るだけ労せずあなたのビジョンを現出させるという

イリュージョンを廉価で提供するという摩訶不思議な代物です。

手作りさせないことによる手作りがプラモデルキットです!

はっはっはぁ~って、なに、、、、。

 ですからプラモデルは

私を永遠に成就出来ないトランス状態に置きながら、

そのことが成就であるという事で、

延々と作り続けさせるというアリ地獄なのです。

このアンビバレンツ!素敵!

 すみません、素面ではあります。ではありますが、

プラモデルを呑み込もうとしても

呑み込めない疼きがココを改造してみたいという逸脱に現れます。

ああーしかしエッチングパーツというモノまで出して来て、

改造してみたい(自分で作りたい)という

フィジカルな要求をプラモデルはどこまでも成就させまいとします。

いわばこの創造させまいとする疑似創造に抗う事の出来るものだけが、

プラモデルから真に逸脱し模型として成就されるのでしょうか。

いや、

それでは、なしてプラモデルで作り始めたのかという意味が

問われる事となる。

プラモデルはあなたを決してためしているのではない、

プラモデルをその宇宙的可塑性の中にこそ、

そのまま受け入れる事による、

自我の放棄こそを求めているのである。

そッ、

我々は一度、それを放棄しなければならないのです。

作ることからくる創造性の錯誤をです。

そうでなければ私達はプラモデル(世間)の波間に漂う

プランクトンのように、

ただただプラモデルというクジラに飲みこまれるまれるのです。


     ところで、畔蒜名人は名人であるからして

          「爪」はさり気に

   「ネイルアート」を示唆しているものと思う、、、。

     して、その昔の「modelcars」誌で、

  畔蒜氏と紙面同席しましたが、その時は氏のルックスに憧れ、

       今はその作品に焦がれている私です。



           この稿つづけられるか、、、、。

                 つづく


 



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Posted by ネコとウソ at 22:52│Comments(0)プラモデル
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