プラモデルを作ろう

ネコとウソ

2008年07月28日 22:32




 プラモデルを作り続ける理由は何だろう。

 プラスティックの可塑性は世界をノンヘラルキーにした。

つまりフェラーリも行水も同じであると。

ボーゼンと取り残された身体は

メディアそのものとなって宙を舞うしかなく、

作る事を先送りする事によってしか成就しないことになる。

数多のオプションパーツに

翻弄されることこそが作ることでもあるように、、、、。




 オプションパーツが手に入らないので組み立てられません。

して、何か組み立てた事はあるのかねという問いには、

何方に作ってもらおうかと思案してるんですよぉ、

となるか。

 画像は私が25年前に作った田宮のMINI(黄色)

その下のMINI(緑)は近年作ったものです。

大差ない、これがプラモデルだ。

エッ、私の技術が向上してないだけ、、、

成程そう思いたいがプラモデルはやはりよく出来ているし、

肝心なところは作る事をお任せしていることに

変わりはないと思う。

 色に関しても一般的レベルなら

完成品も十分クリアーしていると思う。

色塗りこそは上手下手がはっきりするので

プラモデル化して欲しいものだけど、

都合そうもいかないのは見れば分かる事か。

「プラモデル組み立てゲーム」というのがあったと思うが

どうなったでしょうか。

アレでプラモはもう終わったと認識しました。

もちろん終わったのは哲学的な意味であって、

抽象絵画が出ても具象絵画がもてはやされるのは

ご存じのとおりだ。

して何故プラモデルを作り続けているのか、、、、。


         次回





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