ZETA その4

ネコとウソ

2008年06月21日 21:42


  JAGUAR Mk-Ⅱ 1/24 TAMIYA


絵を描いていて金属表現で困ったという経験はないだろうか。

金色や銀色という絵の具があるからそれを塗れば良いと思うのは小学生までで、

大人は考えるということは無駄なことだと社会で教えられるから、

その経験自体を回避するようになっているから困ったことはないか、

そういう局面になっても、誰かが、あるいは間違いで答えるか、

ともかくも理由はどうであれ社会が決めた回答に対して行動するだけで、

考えるという自虐行為は避けられるか。

実際に金属表現に銀色を塗るとそこだけ本物になってしまい困ってしまう。

しかし、これも実際に塗れば困るが、塗らないで考えると困らない。

大人は困ってはいけない。

それでも塗ってしまったひとはそこだけがピカピカ光るという状態に、

いや、これに感動してそのままという人もいるやもしれぬ、

したり顔で絵画論?を言うのも大人げないか、、、、。

服を着た人物の写真のボタンを本物に変えるとどうなるだろうか。

リアリティが増すだろうか。今や普通にのそのような表現が行われているから

驚くということもないだろうが、具象絵画的には掟破りで、

そのことによってイリュージョンが損なわれることとなる。

そのようなイリュージョンは均質(同じメディア)な空間の表現によって表現されており、

視覚的(見た目)に錯誤させることによって表現が成り立っている。

ちなみに銀色はグレートーンでなされる。

このように考えたときカーモデルはどうなるだろう。

実際にぴかぴか光ったボディ塗装を施すカーモデルである。

「馬車」や「GANDAM」のように面ごとに色を変えたり光沢を変えたりすると

そこだけ本物(あるいは描写)でイリュージョンを損なうこととなる。

ところがそこはうまくしたもので人間の錯誤は多岐にわたっており、

この場合は車という形状と、実車と大して変わらない塗装方法が

リアルな錯誤(イリュージョン)を生むのである。

まあしかしまったく車やそのようなステイタス(光り輝く)に興味のない人には

ミニカー(おもちゃ)という錯誤があるだけでしょうが、、、、シクシク。

               この項 了

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